【落語】弱音を吐かない師匠・歌丸の死に際の言葉に…一番弟子・歌春「とても辛かった」
- 2018.07.03
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日本テレビの演芸番組「笑点」のレギュラーを長く務め、国民的人気を誇った落語家の桂歌丸(かつら・うたまる、本名椎名巌=しいな・いわお)さんが2日午前11時43分、慢性閉塞性肺疾患のため横浜市内の病院で81歳で死去した。
訃報を受け、歌丸さんが会長を務めていた落語芸術協会で、今年6月から会長代行を務める三遊亭小遊三(71)、同協会の理事を務める春風亭昇太(56)、歌丸さんの弟弟子となる桂米助(70)、一番弟子となる桂歌春(68)が会見を行い、時には笑いを交えながら、歌丸さんとの思い出を語った。

今年4月19日、歌丸さんの最後の高座となった国立演芸場定席で一緒だったという米助は「歌丸師匠がトリで、私が中トリを務めた。4月15日が私の誕生日で、歌丸師匠がトリを取ったあとに、車いすに乗りながらケーキと花束で祝ってくれた。自分が苦しい時に祝ってくれた。大変に情の厚い師匠でありました。公私にわたり、下っ端の頃から面倒見ていただいた。(最後に声をかけたのは)たった一言、ありがとうございました、それしかない」と涙をぬぐい、天を仰いだ。
歌丸さんは今年4月24日に入院、29日に重い肺炎となり、一時は危篤状態にまでなったが、30日以降、奇跡的に回復したという。29日に米助も病室に駆けつけ、「師匠!」と大きな声を掛けたという。米助が歌丸さんと最後に会ったのはこの日が最後となった。歌春によると、数日後に意識を戻した際、歌丸さんは「死にそうな感じがしたんだけど、誰か大きな声で呼ぶんだよね。だから、戻ってきたんだよ」と話していたといい、これを聞くと、米助は
「大きな声も無駄じゃないなと」と応じ、笑いを誘った。一時の危篤を乗り越え、2カ月間、様態は一進一退を繰り返していたという。歌春は「良い時は病気なんかしてないんじゃないかぐらいだった。またいつものように、8月には国立の長高やるんだろうな、またできるんだろうなという思いを感じておりました」と悲痛。
「歌丸は意志も強く、運も強く、芯も強い師匠だとずっと思っておりました。苦しい時でも見舞客に対しては『苦しい』とか『痛い』とか弱音を吐くことはめったに言わなかったんですけど、危篤を過ぎて意識が回復して、苦しいのが実感するようになると『苦しい、楽にしてくれ』と言っていまして。『ダメですよ、そんなこと言っちゃ。頑張りましょう』と言ったんですけど、『楽にしてくれ』という言葉がとても辛かった」と振り返った。
その時は安楽死まで考えるほどだったといい、「本当に辛かったんだと思います。でも、それを乗り越えて、生き返ったわけですから、また奇跡を起こして、よみがえるだろうと思っていた。最後まで呼吸器をつけていて、鼻の頭がすりむけていて、いつも痛がっていたんですけど、これが痛がっていることだったんだなと。呼吸も苦しいし、辛かっただろうし、本当に全部から解放されて『師匠、お疲れ様でした』という言葉を最期にかけました」と明かした。
昇太は「直接指導されたわけじゃないけど、普段から高座に対する姿勢を見せていただいて、ありがたかった。本当に格好良くてステキな師匠でした」。
思い出を聞かれ、「僕が大河ドラマに出た時に、大河ドラマでていいな、俺も出たいな。出たいなと。すごく出たかったらしいんです。千利休だったらうまくできそうだと役まで決めていた。よっぽどやりたかったんだなって」と昇太がNHK大河ドラマ「直虎」に今川義元役で出演していた時の意外なエピソードを明かし、驚かせた。
スポニチ
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/07/03/kiji/20180703s00041000295000c.html
桂 歌丸(かつら うたまる、1936年〈昭和11年〉8月14日 - 2018年 〈平成30年〉7月2日)は、日本の落語家。本名は椎名 巌(しいな いわお)。

神奈川県横浜市中区真金町(現:南区真金町)の出身。定紋は『丸に横木瓜』。血液型はA型。横浜市立横浜商業高等学校定時制中退。
出囃子は『大漁節』。公益社団法人落語芸術協会会長(5代目)。当初は新作落語中心だったが、晩年は、廃れた演目の発掘や三遊亭圓朝作品など古典落語に重点を置いて活動していた。地元・横浜においては横浜にぎわい座館長(2代目)、横浜橋通商店街名誉顧問も務めていた。位階勲等は旭日小綬章。
演芸番組『笑点』(日本テレビ)の放送開始から大喜利メンバーとして活躍し、2006年(平成18年)5月21日から2016年(平成28年)5月22日まで同番組の5代目司会者を務め、同日付で終身名誉司会者となった。
桂 歌丸 - Wikipedia
訃報を受け、歌丸さんが会長を務めていた落語芸術協会で、今年6月から会長代行を務める三遊亭小遊三(71)、同協会の理事を務める春風亭昇太(56)、歌丸さんの弟弟子となる桂米助(70)、一番弟子となる桂歌春(68)が会見を行い、時には笑いを交えながら、歌丸さんとの思い出を語った。

今年4月19日、歌丸さんの最後の高座となった国立演芸場定席で一緒だったという米助は「歌丸師匠がトリで、私が中トリを務めた。4月15日が私の誕生日で、歌丸師匠がトリを取ったあとに、車いすに乗りながらケーキと花束で祝ってくれた。自分が苦しい時に祝ってくれた。大変に情の厚い師匠でありました。公私にわたり、下っ端の頃から面倒見ていただいた。(最後に声をかけたのは)たった一言、ありがとうございました、それしかない」と涙をぬぐい、天を仰いだ。
歌丸さんは今年4月24日に入院、29日に重い肺炎となり、一時は危篤状態にまでなったが、30日以降、奇跡的に回復したという。29日に米助も病室に駆けつけ、「師匠!」と大きな声を掛けたという。米助が歌丸さんと最後に会ったのはこの日が最後となった。歌春によると、数日後に意識を戻した際、歌丸さんは「死にそうな感じがしたんだけど、誰か大きな声で呼ぶんだよね。だから、戻ってきたんだよ」と話していたといい、これを聞くと、米助は
「大きな声も無駄じゃないなと」と応じ、笑いを誘った。一時の危篤を乗り越え、2カ月間、様態は一進一退を繰り返していたという。歌春は「良い時は病気なんかしてないんじゃないかぐらいだった。またいつものように、8月には国立の長高やるんだろうな、またできるんだろうなという思いを感じておりました」と悲痛。
「歌丸は意志も強く、運も強く、芯も強い師匠だとずっと思っておりました。苦しい時でも見舞客に対しては『苦しい』とか『痛い』とか弱音を吐くことはめったに言わなかったんですけど、危篤を過ぎて意識が回復して、苦しいのが実感するようになると『苦しい、楽にしてくれ』と言っていまして。『ダメですよ、そんなこと言っちゃ。頑張りましょう』と言ったんですけど、『楽にしてくれ』という言葉がとても辛かった」と振り返った。
その時は安楽死まで考えるほどだったといい、「本当に辛かったんだと思います。でも、それを乗り越えて、生き返ったわけですから、また奇跡を起こして、よみがえるだろうと思っていた。最後まで呼吸器をつけていて、鼻の頭がすりむけていて、いつも痛がっていたんですけど、これが痛がっていることだったんだなと。呼吸も苦しいし、辛かっただろうし、本当に全部から解放されて『師匠、お疲れ様でした』という言葉を最期にかけました」と明かした。
昇太は「直接指導されたわけじゃないけど、普段から高座に対する姿勢を見せていただいて、ありがたかった。本当に格好良くてステキな師匠でした」。
思い出を聞かれ、「僕が大河ドラマに出た時に、大河ドラマでていいな、俺も出たいな。出たいなと。すごく出たかったらしいんです。千利休だったらうまくできそうだと役まで決めていた。よっぽどやりたかったんだなって」と昇太がNHK大河ドラマ「直虎」に今川義元役で出演していた時の意外なエピソードを明かし、驚かせた。
スポニチ
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/07/03/kiji/20180703s00041000295000c.html
桂 歌丸(かつら うたまる、1936年〈昭和11年〉8月14日 - 2018年 〈平成30年〉7月2日)は、日本の落語家。本名は椎名 巌(しいな いわお)。

神奈川県横浜市中区真金町(現:南区真金町)の出身。定紋は『丸に横木瓜』。血液型はA型。横浜市立横浜商業高等学校定時制中退。
出囃子は『大漁節』。公益社団法人落語芸術協会会長(5代目)。当初は新作落語中心だったが、晩年は、廃れた演目の発掘や三遊亭圓朝作品など古典落語に重点を置いて活動していた。地元・横浜においては横浜にぎわい座館長(2代目)、横浜橋通商店街名誉顧問も務めていた。位階勲等は旭日小綬章。
演芸番組『笑点』(日本テレビ)の放送開始から大喜利メンバーとして活躍し、2006年(平成18年)5月21日から2016年(平成28年)5月22日まで同番組の5代目司会者を務め、同日付で終身名誉司会者となった。
桂 歌丸 - Wikipedia
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描写がえぐいんじゃ
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生きて何を全うするか
死して何を残すか
死して何を残すか
11
気管切開した方が楽だったかもしれないが、本人が高座に復帰するつもりだったから拒否ったんだろうなと推測
49
>>11
肺が膨らまないから、気道確保してもダメだと思う。
肺が膨らまないから、気道確保してもダメだと思う。
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Pickup!
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楽にしてくれってどんなとこで言ったのか気になった
自分も一人で母の病室にいる時言われたから、誰にも言ってないが
自分も一人で母の病室にいる時言われたから、誰にも言ってないが
24
>>16
泣
辛かったな
泣
辛かったな
26
>>24
アリガト、やさしい言葉聞くと涙が出る、父にも言ってない。
アリガト、やさしい言葉聞くと涙が出る、父にも言ってない。
21
今人気の講談師の人も歌丸一門の人なんだってね
ダウンタウンなうで初めて知った
ダウンタウンなうで初めて知った
22
ガチで安楽死導入せろや
23
死ぬまえに拷問うけるようなもんだな人間の業は深すぎるだろ
27
周りから見守られて死ぬってこうやって頑張らないといけないから辛いよね
30
なんで
楽太郎のコメントはないの?
楽太郎のコメントはないの?
48
>>30
FAXで自筆コメントしている
FAXで自筆コメントしている
31
これで笑点の司会者は全員死んじゃったな
35
>>31
まだ独身がいるじゃないか
まだ独身がいるじゃないか
33
マジで安楽死考えたほうがいいな
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「おや、誰かと思えば・・・お前さんもとうとう来たのかい」 三遊亭小圓遊
39
小遊三「『便所でお尻をフク会長』って言えなくなるじゃねーかよ。歌さんありがとう。」
40
>>1
おお、ヨネスケだ
おお、ヨネスケだ
42
>慢性閉塞性肺疾患
タバコやなあ
ググったら「1日缶ピース60本を50年以上吸っていた」って ww
そんなんで81歳まで生きたってのがまた凄いわなあ
でも「慢性閉塞性肺疾患」ってのは地獄の苦しみみたいだな
植木等もこれなんだよなあ
タバコやなあ
ググったら「1日缶ピース60本を50年以上吸っていた」って ww
そんなんで81歳まで生きたってのがまた凄いわなあ
でも「慢性閉塞性肺疾患」ってのは地獄の苦しみみたいだな
植木等もこれなんだよなあ
47
>>42
うちのじーさんも80代後半までピース吸ってたけど90代まで生きたから吸ってなきゃ100いってたかもなー
うちのじーさんも80代後半までピース吸ってたけど90代まで生きたから吸ってなきゃ100いってたかもなー
46
あの世の高座が、どんどん豪華になっていくなぁ。
地獄八景亡者戯ってか。
地獄八景亡者戯ってか。
20
やっぱ安楽死制度は作るべきだな
歌丸でさえ望むほどなんだから
歌丸でさえ望むほどなんだから
3 コメント
- 1: 2018/07/03 21:05:13
- 2: 2018/07/03 21:56:25
- 3: 2018/07/03 21:57:51
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